家が火事になりました、ついに私の家が燃え始めました

家が火事になりました、ついに私の家が燃え始めました、二階の屋根から煙が立ち込めています

空き家であった隣家から出火した火事の火は、ついに私の家の二階まで押し寄せました。
隣家とは屋根が交差していたため、二階の屋根に燃え移ったようです。
瓦からは燻されるようにして白い煙が立ち上っています。
火は徐々に屋根全体に広がり、壁を伝っていきます。

私の家が火事になりました・家が燃え始めました

自分の家が燃える火事を目の当たりにして、正直に思った事

自分の家が燃える火事を目の当たりにして、正直に思った事は「火災保険」の事でした。
私の家は大正14年に作られた、田舎の典型的な田の字造りの家です。
冠婚葬祭を自宅で行うため家は大きく巨大です。
この大きな家を、15年ほど前にリノベーションしました。
二階は全てを取り払い床のみを補強しました。
居住部分は一階の西側のみです。
仏間、玄関、奥の居間、寝室、そして居住部分であるリビング、キッチンがあります。
家の煖房に薪ストーブを使用しているため、もしものために火災保険に加入していました。

火災保険は適用情報を見直しをしたばかりだった

火災保険の加入は私が新しい家を建てた時になります。
実はこの古い建物以外にもう一軒私が建てた家があります。
この家は、息子が結婚した時に貸与し、私は火事に遭った家をリノベーションしてその家に住んでいました。
家は二軒とこれ以外に農業用の倉庫が二棟と蔵が一棟ありました。
これらの家には火災保険をかけていました。
火災保険は、建物のある住所と建坪が基本の情報になります。
この住所と建坪はとても重要です。
曖昧な情報では火災に遭った時に火災保険が適用されません。
このため、3年ほど前に登記簿謄本の情報から家事被害に遭った家と、子供に貸与した家を火災保険適用の対象としました。
住所と建坪は登記簿謄本の情報を正しく適用しました

なぜ火災保険の情報を見直したのか?

火災保険の情報を見直したのは「何かしら思う事があった」ためです。
火災保険の加入は25年ほど前に遡ります。
加入していた保険は、労働組合系の共済保険です。
加入の動機は労働組合からの説明です。
世の中に火災保険は民間、共済系を含めて多々あります。
民間系は審査が厳しく支払い基準も様々なようです。
ネット申し込みと代理店申し込みがあるそうですが、支払い基準はネット>代理店申し込みで、ネットの方が支払額も多いようです。
労働組合系火災共済はそもそも組合員の生活支援の要素が大きく火災の場合は一刻も早い復旧を支援するため支払い基準も復旧支援に重点を置き速やかな施工がされるとの説明でした。
保険に入った当初は自分の家が火事に遭う事は想像もしていませんでした。
このため坪数や住所も適当でした。
しかし、3年ほど前に何かしら思う事があり、住所と坪数を正しく申請したのでした。
この何かしら思う事の真相はよく分かりませんが、もしかしたら予測していたのかもしれません。
保険自体が被害や災害予測に対しての損害補償ですから予測は当たり前のことかもしれません。

家が火事になりました PM12:30

私の家が火事になりました

家が火事になりました。
自分の家が火事になる事は、長い人生の中で滅多にありません。
例えば、親戚や知り合いの家が火事の被害に遭うという事もほとんど無いでしょう。
家が火事の被害に遭う事はとても珍しい事です。
でも、私の家が火事に遭ってしまったのです。

何やら焦げ臭い匂いがしてきたと思ったら・・PM12:35

2024年のある日のこと、昼食後に家の中で寛いでいたら何やら焦げ臭い匂いが?誰かが近くで野焼きをしている?
※野焼きは各市町村の条例で禁止
しかし、最初の匂いに気づいてから5分程たっても焦げ臭い匂いは続いています。
何か変?だなと思い確認するつもりで庭に出てみました。

え~~!! 何と言う事?!!斜め裏の空き家からゴウゴウと炎が立ち上っている!! PM12:35

庭に出て辺りを見渡すと、何と!!斜め裏の二階建ての空き家からゴウゴウと炎が立ち上がっています、もう!!とにかく大パニックです。
なんとか火を消さなければ!
慌てて水道ホースを掴んで炎が立つ場所へ走りました。
しかし、水道ホースはいくら引っ張ても火事の現場には届きません。
しかも水道ホースから出る水で炎の勢いを止める事など出来ません。
それほど立ち上る炎は勢いが強かったのです。

火事だ!火事だ!と大声で近所に知らせる! PM12:35

これはイカンと思いながら「火事だ!火事だ~」と大声で叫びながら近所に知らせて走り回りました。
スマホから119番通報を試みました。
すでに多くの人が火事を目撃し。119へ通報していたらしく119番通報は通じませんでした。
通りを挟んだ向こう側の歩道に4,5人の野次馬がいました。
思わず大きな声で「消防署に通報をして~!!」と叫んだところ、腕を丸めてOKサインが届きました。
すでに誰かが消防署へ通報してくれたようです。

どうやら、出火してから5分程経過していた様子 PM12:35

どうやら、裏の空き家から出火して5分程経過していたようです。
このため、火事を目撃した人たちが一斉に消防署へ連絡してくれたようです。
とはいえ、私の頭の中は大パニックです。
何をどうしたらいいのか?
真っ先に浮かんだことが消防車を誘導する事です。
残念な事に消防車は一向にくる気配がありません。
消防署は私の家から300メートルほどの距離にありますが、サイレンの音さへも聞こえません。

とりあえず広い道路へと向かう PM12:36

火事の現場は幹線道路から脇道へ50メートル入った場所になります。
脇道は消防車がギリギリ通る事が出来る狭い道路になります。
幹線道路へ向かう途中の脇道にMが道路中央に車を停めていました。
私は思わず「M、車をどかせ!!」と叫んでいました。
Mはこの地域では度々色々な問題を起こす要注意人物でした。
しかも、Mは私が叫んでいるにも関わらず平然とした表情でスマホで火事の様子を動画撮影していました。
こんな時になぜ平然としていられるのか?細い脇道の中央に車を停めたら消防車が通ることができません、しかも顔色一つ変えずにと、不審に思いましたが緊急事態のため構っていられません。

消火栓に駆け付ける、そこには隣の市の消防隊員がいた PM 12:36

広い通りには消火栓があります。
消防車はまだサイレン音も聞こえてきません。
消火栓には既に若い男性がいました。
ホースを引っ張り出して消火栓に手際よく接続していました。
ただ、開閉器が見つからないようで水が出ませんでした。
後で確認したところこの男性は隣の市の消防職員でした。

消防車のサイレンが聞こえてきた PM 12:37

消防車のサイレンが聞こえてきました。
サイレン音が近づいてきます、やっと到着しました。
この消防車が到着するまでの時間がどれほど長かった事か。
既に火事は建物を覆いつくすように火の手が上がっています。
風が強い為他の建物への類焼は免れないようです。
消防隊員は到着と同時に先に接続した消火ホースを取り外し消防車からの消火ホースを接続します。

非常線が張られました、私の家も立ち入り禁止になりました PM12:40

消防隊員はそれぞれの持ち場に就き、テキパキと業務をこなしていきます。
類焼の可能性のある私の家にも非常線が張られました。
火事の発生からは10分程経過していると思います。
焦げ臭い匂いに気づいて家を飛び出したものの、火事とは思っていなかったため貴重品は持ち出していません。
消防隊員は現場から離れるようにと盛んに呼びかけています。
私の家も類焼するのか判断がつきませんが、貴重品だけは持ち出したいと思います。

消防隊員に事情を話し家の中に飛び込む PM12:41

消防隊員に事情を話し貴重品を持ち出す事としました。
覚悟を決めて家の中に飛び込みました。
火事の炎は確実に私の家に迫っています。
空き家はバキバキと柱が燃える音がしています。
私の家の中には焦げ臭い匂いが流れ込んでいます。
貴重品はコンパクトに纏めてあり、持ち出す事は容易でした。

倉庫からガソリンが入った携帯燃料タンクを持ち出す、車も移動する。 PM12:43

空き家から出火した火事が私の家に燃え移ってくる事が心配です。
倉庫には携帯燃料タンクがあり、ガソリンが保管してあります。
車も作業用の軽トラと自家用車がありこれらにもガソリンが詰め込まれています。
もし類焼した場合これらに引火して爆発する事も考えられます。
今のうちに携帯燃料タンクと車を安全な場所に移動する事にします。

放水が始まりました。消防ホースは二本 PM 12:45

今のところ駆けつけた消防車は二台です。
一本は直接ゴウゴウと燃える炎に対して、もう一本は類焼を防ぐために私の家に対して放水されています。
しかし、残念な事に放水される水圧に勢いがありません。
確か消防車には給水ポンプが設置されて調節が出来るはずですが、それにしても水の勢いが無いようです。

炎が風にあおられる PM 12:50

炎が強い風に煽られています。
私の家と、火事で燃えている空き家とは軒が接近しています。
私の家の軒に空き家の軒が覆いかぶさるような形になっています。
この風では私の家への類焼は免れないようです。

私の家の屋根から煙が立ち上っています。PM 12:55

残念ですが私の家が燃え始めました。
大正14年に曾祖父が建てた家です。
この地に家を理由は、別の地区での火災被害です。他地区で火災に遭い、田んぼであった現在の場所に新しく家を建てたとの事です。
昔は大家族が当たり前で、この家に曾祖父夫婦、祖父夫婦、その子供が二人と合計6名が暮らしていました。
家は典型的な田の字造りです。
四隅に柱があり高さと幅がある太い梁が柱を支えています。
一階は畳と板張りの部屋、二階は全て板張りです。
二階では建設当時に蚕を飼っていました。
明治後期から昭和初期にかけては絹製品が日本の一大産業でした。
蚕を飼う事はその絹を得るためには欠かせないものです。
一階の畳の間は、建具を取っ払うと大きな空間となります。
昔は結婚式場も祭儀場も無かった為、結婚式、葬儀、そして出産もすべてこの家での出来事です。
そしてこの家には、ここを利用した思い出がいっぱい詰まっています。
その家が燃え始めてしまったのです。